護國寺の歴史

創立までの歴史

日蓮宗 佛乗山 護國寺 [ 護國寺認可 明治13年1880年4月 ]
開山第1世 山本日諦僧正 大本山誕生寺第58世千葉県鴨川市小湊
開基第2世 善済院日成上人(玉江利兵衛)元唐戸町法華宗本行寺檀家
下関市西端町¬玉かねたま醤油屋・米相場等にて大繁盛となった。
玉江利兵衛は、山本日諦僧正の弟子善済院日成上人となり護國寺開基第2世となり私財を投じて幅四間、奥行七間の本堂と幅二間と奥行三間半の庫裡を建立し、護國寺の基礎を創った。

『玉江利兵衛は山本日諦僧正の教えに感動し、弟子となった。』

人は様々な事態に直面し、その心は、怒り、貪り、焦り、安らか、踊ったりします。しかし、そんな時でも必ず真実の心、仏の心は有るのです。この心を取って自己の心とするのです。これが則ち御本尊を奉り、その前で信仰する時の心得であります。この心で御本尊に信仰の誠を捧げれば、一乘の教えに対する大信力を発起することができ、円満完全な法華経信仰の修行を興立することができるのです。 御本尊には、私達信者の迷いを断ち、悟りを開くという目的があります。苦しみを離れ、楽を得る為のお手本です。
明治七年初冬十六日 日諦 花押    玉江利兵衛 殿
追伸 白の念珠を二連 贈呈、乞くば即ち 御夫婦 今身より尽未来まで受用あるべく候。

創立後のできごと

第01世 山本日諦僧正 大本山誕生寺第58世

第02世 善済院日成上人(玉江利兵衛)明治15年53才遷化

第03世 吉田日誯 山本日諦僧正の弟子 明治16年
明治31年 加藤清正公堂御神殿建設
加藤清正公尊像は開基第2世善済院日成上人購入
山本日諦上人故郷の祇園山龍潜寺 北九州市八幡東区祇園原町
龍潜寺第3世住職となり護國寺代務とした。

第04世 吉田日誯 帰山し正式住職を任す 

第05世 西嶋文明 (龍潜寺第7世住職兼任・文明四男)
☆境内整備・本堂建立、庫裡建立、離家建立、納骨堂再建

第06世 西島日義 (文明の兄長男 直方市大隈 善應寺住職)

第07世 吉本日仁 (文明の兄次男 山陽小野田市埴生 妙蓮寺住職)

第08世 西嶋覺音 (西嶋ミキコと結婚入山 飯塚市天道 圓満寺次男)
1 山崩れ本堂の修復
2 本堂屋根銅板吹替工事・寄進・木本久則氏
3 甲子大黒尊天像厨子入建立・唐戸商店街町興し大福行列・辻祈祷毎年行事設立
4 夏厄除け大祭清正公堂・本堂ミニ花展、献茶式
5 豊浦町小串別院設立、土地寄進・金井浅一氏 お堂建立。
6 本堂平成の大修理・本堂国登録有形文化財 平成15年3月18日登録

第09世 西嶋好文 (西嶋覺音 長男)
1 大荒行堂五行成満、伝師相承拝受
2 大荒行堂伝師就任し、護國寺伝師祈祷道場開設
3 ネパール国釈迦族末裔シャキャー氏グループ持参の釈尊誕生仏・戎屋表千家炉灰名人
弓崎宗考氏(甲子大黒尊天講会長・大福行列会長)息子供養の為寄進、壮年部会長
山本幸子、上野公裕、飯田智恵子部員にて御影石台座建設。白龍守護感得。
4 ロサンゼルス修法布教砌にインディアン(ネイティブアメリカン)2人の
精霊にお告げを受けアメリカ合衆国ニューメキシコ州サンタフェ・ナンベプエブロ村に行き宇宙に久遠釈尊実行の供養を捧げ、護國寺庫裡屋根鴟尾の位置に聖地誕生
5 東京・下関護國寺仏教文化講座会場ホテル毎月開設・護國寺文化カルチャー開設
6 NPO法人下関幕末維新村理事長
7 下関観光街興し関門関旅会設立名誉会長
8 庫裡建立・煉瓦塀建立・庭園創設・浄行堂修復
9 清正公堂・石造門柱文化財保存修復
10 清正公堂・納骨堂・石造門柱2基の3件国登録有形文化財平成25年12月24日登録
11 絹本著色釈迦誕生図・博多本岳寺が所蔵朝鮮李王朝仏画名品レプリカ寄進
住職立野良顕僧正・9つの大龍神来山聖地感得。

第10世 西嶋宏文 (西嶋好文 長男)
☆日蓮大聖人御降誕八百年慶讃事業
1 護國寺会館土地購入、修復工事
2 第3駐車場土地購入、修復工事
3 納骨堂文化財保存し納骨棚改修工事
4 納骨塔合併方式併建設整備
5 位牌堂・各家位牌入箱・家族親族記入位牌過去帳位牌作成
6 本堂両位牌堂文化財保存し壁紙張替え・寄進・吉野水産株式会社
7 清正公堂文化財保存し修復・寄進・吉野水産株式会社
8 国登録有形文化財認可パネル取付(井桁立花型)・寄進・吉野水産株式会社
9 本堂と庫裡の音響設備新設
10 護國寺重要染筆多数表装軸完成
11 護國寺階段・墓地階段手摺建設工事
12 夏祭り提灯やぐら建設
13 ホームページ作成

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